「朝鮮を滅亡に導いた『地方消滅』は現在の『ソウル共和国』と似ている」という話

最近、韓国与党「国民の力」が金浦市をソウルに編入する案を本格的に議論するとして特別委員会を発足させました。政府は「ソウルメガシティー」と呼んでいるようですが、反応は芳しくありません。「ソウル共和国」と揶揄されています。

現在のソウルは国土の11.8%に人口の半分以上が集中している超過密都市です。そのソウルを「拡大」することに果たして意味があるのか?ソウル市になりさえすれば解決するのか?地方(非首都圏)との格差を広げるだけなのではないか?などが主な批判内容です。

首都圏の拡大と一極集中は地方消滅に繋がります。
日本と韓国の国力が逆転したとされる壬申の乱の頃を境にその格差が広がった理由を「地方の発展が日本を支えた」とし、それに比べて朝鮮時代は中央の役人が地方に派遣される「中央集権体制(=首都一極集中)」であったことが朝鮮の衰退を招いた...「ソウル共和国」はそれに似ている、とするコラムがありました。
また、みんながみんな医大を目指すのも、知識人たちがこぞって「儒教」だけを学んでいた朝鮮当時の様子と重なるとしています。

 



趙甲濟ドットコムの記事(※注:バンダーさんではありません)からです。

韓国人特有の群れる本能

朝鮮を滅亡に導いた「地方消滅」と「知識人の性理学集中」...現在行われている「ソウル共和国」・「医大共和国」と似ているのではないか?

韓国戦争のときに韓国人を観察した外国人が韓国人の特徴として「群れる本能」を挙げた。避難民を見ると、ひとりが先に進むと残りの人たちも何も考えずに集団的に付いて行ったということだ。このような韓国人の集団本能は既に朝鮮時代にもあったようだ。

日本が韓国を国力で逆転した時点を壬申の乱前後と見る。その後、朝鮮が滅びるまでその格差はますます広がった。日本が韓国をリードした理由として挙げられる理由の中には「地方消滅」と「知識人の性理学集中」が漏れなく登場する。地方消滅は、言い換えればソウル偏重であり、知識人の性理学集中は学問の偏重だ。現在、韓国で行われている「ソウル共和国」と「医大共和国」と似ているのではないか?

全国の大名が競争しながら生産力増大のために努力して全国が均等に発展した日本に比べて朝鮮の地方は疲弊し、ほとんどすべての学問分野で優れた人物を輩出した日本に比べ、朝鮮で文を読む余裕のある人たちはただ性理学だけを勉強した。

(中略)

慶尚北道の都市部の者がユン大統領にリュ・ソンリョンの「懲毖録」を勧めたが、その中に次のような部分がある。

朝鮮時代、ほとんどの地方官僚が漢陽から派遣されたので主人意識が無く戦争のような状況では官僚が先に逃げ出したため地方が崩壊し、わずか20日で首都漢陽が陥落した。

地方が崩壊すると国も崩壊するということは、壬申倭乱でなくとも皆が知っている常識だ。高校を卒業すれば生産可能年齢帯の人口が全てソウルに行く。職を探して。ある程度の規模の地方企業も本社をソウル、京畿地域に移す。

(中略)

一度流行ったら全校生徒が皆ロングダウンを着て、土地が余っている田舎でもマンション収益だけで暮らそうとして人口の半分以上がソウルに集まり、勉強が出来る子たちはみんな医大に行き、分もわきまえず全国民が道も狭いのにタンクほどもある大きな車を運転して、高校を卒業したら絶対にソウルにある(in Seoul)大学に行かなければならないし、他の人たちもみんなやっているから私も住宅ローンを組んで恐れず分不相応な高い家を買って......このような韓国人の集団本能が、国家を不均衡で競争力の無い国にしている。首都圏の過密は少子化の直接的な原因だと口をそろえて指摘されている。

一方に異常な偏りがあれば人々が行かない他方に破格の恩恵を与えてでもバランスを取らなければならない。そうでなければ大韓民国は朝鮮王朝のようにじわじわと失墜していくだろう。



「한국인 특유의 떼거리 본능(韓国人特有の群れる本能)」より一部抜粋

「他方に破格の恩恵を与えてバランスを取れ」はどうかと思いますけどね。それこそ「競争」を無視していませんか?
このコラムを書いた人は「釜山368」さんと名乗る人です。釜山在住の368世代でしょうか?

群れることは決して悪いことばかりではありません。
自然界において人間は弱い生き物です。集団を作ることで個の生存率は上げてきました。人間が社会性を持つ生き物なのは、社会性を持つ方が生存に有利だったからです。逆に言うと、社会性を持っている人だけが子孫を残すことができた、とも言えます。


朝鮮時代において性理学(儒教)をみんながこぞって学んだのは、群れとか流行とか関係なく、それが社会的に絶対的に有利だったからです。両班にさえなってしまえば地方に帰っても暮らしは安泰だったらしいですから。
指摘できるところがあるとするなら、それしか選択肢が無かった点ですかね。何に対する選択肢かというと、例えば「豊かさ」や「成功者」、「幸せ」「人生の目標」...言い方は色々ですけど、本質的には「現状を変える」手段と定義できるでしょうか。それを実践するための選択肢が無かったんでしょう。
そういう意味では朝鮮王朝は「巧く」儒教を用いた人民統制をしていたと言えるかもしれません。

今、医大にこぞって入ろうとしている姿や誰も彼もが流行に乗っかろうとしている姿を見て「同じ」と感じるのであれば、それもやはり「現状を変える」選択肢の幅が相変わらず少ないからなんでしょうね。