「韓国人の経路依存症は深刻な水準である」という話

紹介するのはDCinside.comの投稿文です。面白い着眼だと思うのですが、如何せん文章が長い。文自体もグチャグチャしてて読み辛いです。
なので事前に何について、どういった視点で書かれているのか概要を少し説明しておきます。その上で読むと多少は分かりやすいと思います。

まず「経路依存」という言葉が出てきます。これは「暗黙のルール」や「慣例・慣行」「仕組み・手続き」など、「◯◯であるべき」と無意識に思ったりすることで思考や行動に(悪い意味で)制限・制約を科すことです。
書き手はこれを主にテレビやネットなど「一方的に与えられる情報によるある種のスリ込み」とした上で、しかし韓国人はネットが主流になるずっと以前から経路依存症が強かったとしています。

その理由として考えられるものに、そもそも韓国では人が日常的に生活する上で「守るべき決まり」が多いことを上げています。例えば階級の差(原文では「層位」=ランク)などです。
決まり別に取るべき思考・行動がマニュアル的に決まっているため、韓国人はその都度、自分で考えることをせずにマニュアル反射で思考・行動する...これが韓国人の経路依存度が高い理由ではないか?的な考察文です。
また、こうしたマニュアル的対応は取るべき思考・行動がパターン化されている場合は問題ないけれども、いざ想定外の状況になったとき本性が現れる、とも。

 

 

DCinside.comへの投稿「韓国人の経路依存症は深刻な水準である」です。

韓国人の経路依存症は深刻な水準である


韓国人たちは仕事をしたり、作業をしたり、考えや反応をしたり、何をか理解したり、日常で人間関係を築くなどほとんどあらゆる分野で行われていることに特定の経路があり、それに依存しているように見える。
物事や現象を見る時も、それを経路マニュアルで単純にろ過してから理解する。

そのような理由の中には韓国人が心情的に怠けているためでもあり、弱気でフィードバックを恐れリスクを回避しようとする保身主義のためでもあり、自身の身の丈に合わない利益を得るために、定型化した形式に任せて偽装しようとするなど、いくつか理由があるだろうが、韓国人に非常に普遍的に広まった経路依存症にはそれよりももっと根源的な理由があるだろう。

経路依存症は主にテレビ、ユーチューブ、映像物などの一方的な情報伝達媒体であるメディアを通じて情報が注入される人々に主に現れるという。
一方向的に一種の学習を続けていると(映像鑑賞のようなものも概念的には学習だ)、人が無気力になり受動的に変わり無意識的に怠けるからだ。そしてメディアを通じて学習したルーチンだけに従うのだそうだ。

ところで、韓国人はインターネットが大衆化される前にも経路依存症が非常に強かった。学校の教師から職場、軍隊、政治家までみな自己や行動を依存的に何かに任せて生きてきた。韓国人の経路マニュアルを知れば、どんな状況で何を見た時、どのような反応をするかも薄々予測できるほどである。

韓国人で構成された環境は、一個人が非常に多くのものを守らせるようにし、些細な階級の差まで気にさせ、人間の生活に意識が多く割かれるが、恐らく韓国人の経路依存症もまたこのような環境の中から生まれた結果ではないかと思う。

韓国ではヨーロッパや日本の野良猫のように気楽に出歩くことが出来ない。意識的であれ、無意識的であれアンテナを立てて歩くことが必須である。常に緊張し、引き締め、「気」を維持し、名分を与えない意識主義的なレールの中にいなければならない。

ある物事や現象を見て反応するすべての過程が自分の内部から率直に出てくると、その様子に意識的な守りがないために何らかの方法で介入されたり、搾取されたり、奪われたり、利用されたりするからだ。

この手の結果は他人との間の信頼が基本にならなければならないが、ほとんどが魂の無い唯物論者である韓国人に些細なの階級の差の中で秩序を自ら守れというのは無理だ。出来ると思えばやってしまうのが韓国人だからだ。そんな機会を見ても取らなければ損だと考える。

街路の四方八方にCCTVがあり、ブラックボックスがあり、住民登録と指紋収集で治安を維持することは韓国の生態系の小さな例だと思う。統制と監視、または一種のフィードバックがあってこそ秩序を守ることが出来るということだ。

そのため統制と監視の無い、またはフィジカルに保護されない存在は、日常の階級の差で意識的でマニュアル的な処世をしたり、特定の見えない経路に依存して自身を守るのだ。

西洋ではメディアによる弊害だが、韓国では生存のための必須的な鎧が経路依存症なのである。
韓国人がある枠組みに自身を合わせ、ある形式で匿名性を守り、ある経路マニュアルを通じて物事を見て反応し、ある様式の中にだけ居ようとすることは全て生存と関係がある。

韓国でノーベル賞フィールズ賞などが出ないのも考え方が定型的でパターン的で気の抜ける方式だからだと考える。
韓国人の思考回路、思考方式は外部に形成された様式を受け入れたものであり、周辺環境の影響で生存のために人為的に合わせて作られたものであるため、生気がないのは当然である。

今ではごく些細なことも、ある枠組みを経なければ理解できなくなった。
自然に見えるのは、ゆとりの中でマニュアルがぎっしり増えたからだ。昔、エヴァンゲリオンOSTの歌の中に「Expansion of Blockade」というタイトルの歌があったが、韓国人の場合はまさにそうだ。

一度、暴力的方式によって搾取されたり傷を負った者は心が凍りつくことになるが、その後いくら平和と余裕が生じてもそれがなかなか解決できないため、ビニールハウスを大きくするやり方で広げるのだ。
平和と経済的余裕があっても平面的に増えるだけだというのは、もしかしたら韓国人は既に壊れた人種ではないかという悲しい思いを呼び起こす。

90年代の韓国人に比べ、現代の韓国人はごく自然な自由人のように見えるが、非定型状況の中に入るとすぐにふらつき、姿を隠している醜悪さが現れる場合が多い。

そうすると、あらかた事が済んだ後、自身の本性が顕れないようにある種の学習をしてはその領域までも政敵な領域の中に入れる。マニュアルの数を増やして自身の実体を回避しようとするものである。それで根源的に解決される場合がない。

(中略)

結論的にメディアは韓国人の経路依存症を少し強めただけで根本的な原因ではなく、経路依存症がこれほどまでに普遍的なものなのは韓国の人間生態系を断面的に映し出すある種の結果だと思う。
韓国人で構成された海に身を投じるしか無い者はその鎧を必ず着なければならないからだ。
怠け者であり、自分の身の丈に合わないものを享受したいからでもあり、楽なやり方で目の前に見えるものを取ろうとする気持ちのためでもあり、責任を撮りたくない保身主義のためでもあるだろうが、そんなものがなくても程度の差があるだけで韓国で暮らすためには誰もが必ず着なければならない。

そういうわけで個人的には西洋の社会心理学の経路依存症と、韓国の経路依存症は違うものとして区別しなければならないと考える。



DCinside.com「한국인들의 경로의존성은 심각한 수준이다(韓国人の経路依存症は深刻な水準である)」より一部抜粋

ㅇㅇ(164.70)さんによる文です。
「Expansion of Blockade」は「閉塞の拡大」という意味になります。

 

科挙制度により「前例主義」的なものが発展したのも原因かもしれませんね。
中国では「かつて◯◯は△△に際し、□□しました」と、自分の主張に説得力を持たせるために前例を持ち出すのが一般的だったらしいです。朝鮮が同じだったかは分かりませんが朝議の場では少なからず影響を受けていたんじゃないでしょうか?