「独立は果たして民族を生かすのか?」という話

先日、ペンアンドマイクの寄稿コラムで「近代韓国語は日本人が作った」というものを紹介しました。それと同じ著者のコラムで、「独立」の意義を問うものがありましたので紹介します。
「独立を無条件に賛美せず、独立よりも異民族の支配を受け入れた方が国民の幸せにつながる可能性もある」みたいな、とんでも内容です。
本人は日本による併合が決して悪いものでは無かった、現在の国家を作り上げる基礎を築いたものだった、という点を強調したいのかもしれません。しかし、なんというか...私はちょっと無理です、この考え方。人が自分に都合良く、自分に良くしてくれることを前提に「支配も悪くないよ」と言っているようで、ひどくナイーブな考え方な気がします。

 



ペンアンドマイクの記事からです。

[寄稿/キム・ムンハク日中韓国際文化研究院長]独立は果たして民族を生かすのか?


韓中日の近代史を研究しながら筆者が発見したのは、韓国人はとりわけ「独立」を好み強調しているという事実だ。教科書も独立という単語で埋め尽くされており、抗日と抵抗が一セットになって独立を強調している。独立を勝ち取るために韓国の先人がどのように日帝に勇敢に抵抗したのかを記述することが最大のポイントとなっている。

このように解放後に作られた「独立イデオロギー」は最も神聖な「神話」として操作され拡散されてきた。だが、韓国近現代史で発見さられるのは、一定期の韓国人は大日本帝国の順民で「朝鮮民族」ではなく「日本国民」として生きていたというのが歴史の真実だ。しかし左派は絶対多数の韓国の先人が「民族」ではなく「国民(日本人)」を誇りに生きてきた真実を極める程度に覆い隠して歪曲してきた。

民族とは何だろうか?民族とは実体性を欠いた「想像の政治共同体」だ。民族は個々人に生命はもちろん、日常の生活に意味を付与するものでもない。日中戦争当時、中国民衆は自分たちに害を与えた中国軍より民衆のために義理と善心を施し綱紀が整った近代日本軍を支持した。

一定期間、朝鮮人も腐敗し無能な朝鮮王朝よりも日本の先進的近代文明により魅力を感じたのも事実だ。そのため彼らは民族の違いを気にせず日本の国民として満足し幸せを感じた。歴史上、他の民族の侵略と支配で互いに同化したり新しい民族が再生したりする。これはありふれた歴史的現象だ。人類史は異民族と他文明の侵略と征服が繰り返される歴史で描かれている。

日本東洋学の権威、京都大学宮崎市定教授は1989年に出版した傑作「東洋の素朴主義と文明主義社会」で近世中国の文明主義民族である漢族に対して非文明人周辺のモンゴル族満州族の侵略と征服によって文明の版図が変わり、漢族が絶えず神聖な血縁で再生していた事実を実証的に論証した。

世の中には絶対的100%純度の独立も民族も存在しない。世界を見て回ると、19世紀初頭にナポレオンのドイツ侵略当時のドイツ知識人の対応が二つに分裂した。例えば哲学者フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte, 1762~1814)は「ドイツ国民に叫ぶ」という有名な演説でナポレオンを侵略者と規定し国民の抵抗を訴えた。

一方、ドイツが生んだ世界的な大哲学者ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770~1831)は、むしろナポレオンの侵略によって平等になったドイツのアンシアンレジーム(旧体制)を崩す有益な革命だと主張した。結局、ドイツはナポレオンの革命軍を擁護し、民族の維持より旧体制打倒を選択した。ヘーゲルはナポレオン侵略をナポレオン主義ではなく進歩主義の立場で喜んで受け入れた。

一定期間、朝鮮人エリートをはじめとする絶対多数の民衆もやはり「進歩主義」を選んだ。左派にいわゆる「親日派」と罵倒される朝鮮人はみなヘーゲル進歩主義を受け入れた先覚者であり、建国の功労者だ。したがって異民族の侵略と支配を「悪」とだけ規定するのではなく、民族を超越することで民族を救えるという壮大なビジョンを持たなければならない。このような見解の中で「独立」が無条件に正義で民衆に良いことなのかに疑問を持ってみるに値する。

近代国家は国民のために存在する。独立が国民を幸せにしてくれないなら無意味だ。皮肉なことに、現在の北韓は「独立」した国家であることは事実だが、その内実はキム氏封建王朝と大きく変わらない。李氏王朝以上に自国民を不幸と苦痛のるつぼの中に追い込んだ阿鼻叫喚の「生き地獄」の他でもない国だ。

実際には民族を不幸にしただけでなく、自由まではく奪してしまった北韓の悲劇的な体制は「独立」の大義名分をいわゆる「犬も食わない」水準に格下げしたことをよく証明している。独立がいわゆる「毒立」に変質し、自民族を毒殺する国家的システムに堕落してしまった。

2010年度ノーベル平和賞受賞者であり、中国民主化運動のリーダーの劉暁波が思い浮かぶ。彼は1988年に香港<<開放月報>>とのインタビューで「中国大陸が自由民主の国に変わるためには約300年間、西洋文明の支配を受けなければならない。それでも果たして十分なのか疑問だ」と直言した。筆者もやはり300年と足りず、500年の歳月が必要だと思う。

筆者が提言したいのは「独立」を無条件賛美し強調するよりは、独立の内容と結果がより重要だという事実を悟らなければならない。したがって「独立」が自民族を不幸にするならば、むしろ先進文明の異民族支配を受け入れるのがより良いかもしれない。

約80年前、日本の朝鮮支配も大きく見ればこのような真理を証明した事例だと思う。むしろ北韓を日本、あるいは米国が買収して民主国家として統治するのはどうだろうか?そうすることが北韓人民を幸せにし、世界平和にも寄与することになるからだ。にもかかわらず、左派は韓国までも北韓共産国家にしようと血眼になっている。世の中にこれよりもっと悪辣な巨悪がまたどこにあるだろうか?



ペンアンドマイク「[기고/ 김문학 일중한국제문화연구원장] 독립(獨立)이 과연 민족을 살리는가?([寄稿/キム・ムンハク日中韓国際文化研究院長]独立は果たして民族を生かすのか?)」より一部抜粋

ちょっと美化し過ぎな気がします。
それに朝鮮は破産国家ですから。どっちにしろ国を維持できなかったんです。先人たちは「先覚者」だったわけではなく、周辺国家の中で「どこに身売りするか」で揉めていただけでしょう。今も昔も彼らがやっていることは変わりません。「政争」に「外勢」を引き入れることです。

自分たちを助けてくれる勢力は「良心的〇〇」で、しかし相手にも思惑があることは見ないふりをします。そうして、厳しいことを言う人からは離れ、耳に心地よいことばかり吹き込む人の手を取ります。その結果が「露館播遷」。高宗がロシア公館に逃げ込んだ事件です。散々、英国から中国を通して「ロシアの南下に備えろ」と忠告されていたにも関わらず、最悪のタイミングで最悪の相手を選んだのです。ある意味、才能ですね。
その後の日英同盟からの日露戦争で韓国は完全に蚊帳の外です。何もかもが韓国の頭上で、韓国を無視して進められました。

また、独立が良いか/悪いかで言えば、間違いなく良いことです。現在、独立を得ている国家/国民が独立を放棄することは愚策だと思います。
日本が当時、半島にどれほどの投資をしたと思っているんですか?これに関しては日本統治が「例外」だったんですよ。
そこを度外視しているからこそ「先進文明の異民族支配を受け入れるのがより良いかもしれない」という発想になるのだと思います。
相手が自分の国を「占領」するのは「先進化させてくれるため」で、「黙っていても全て与えてくれる」などと無邪気に考えているから「独立」が良いか/悪いか、という発想になるのでしょう。
やっぱり根本には「自分たちに都合よく外勢を引き入れる」考え方がこびり付いているように感じられますが...気のせいでしょうか?